全てフィクションです。

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男がモテるために必要なのは、モテること、という逆説。そして恋愛工学という禁じ手

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はじめに

 「モテたい」それは多くの人々の叫びです。特に男性にとって、モテというものは死活問題になりえます。性的価値という意味で男性はどうしても女性よりも劣位に置かれています。何故かというと、恋愛市場では「イケメンのハイスペ」が多くの女性を魅了する一方で、多くの男性は女性から見向きをされないからです。イケメンが女性を総どりするのを横目に見ながら、日々画面とティッシュにお世話にされるという悲しみを背負った存在、それが平均的異常男性というものです。

 このような非モテ男性の悲しみは一般に、男性と女性の「生殖に係るコスト」の違いによって説明されます。曰く、女性は妊娠すると身体的・時間的なコストが必要なために「より優秀な生殖相手を探す」戦略をとる。一方で、男性は妊娠には一瞬の快楽というコストしか必要でないために「より多くのタネをばらまく」戦略を取る。そのため、女性が男性に求める基準が高くなるのと同時に、その基準を超えることができたハイスぺがタネをまきまくる。そして大多数の一般男性は。女性が要求する基準を越えられないために非モテの悲しみをかこつ。というストーリーがあるそうです。

 要するに、単純に性的パートナーを見つけるだけであれば、一般的に女性の方が難易度が低い、というのは事実のようです。一方で女性側の問題は、「誠実な性的パートナー」を見つける難易度が高いということでしょう。男性であれば、一旦女性のパートナーを見つけてしまえば、割とその女性が誠実に相手にしてくれるという意味では難易度が低いです。

 

 まあこういう「生物学的に根拠がありそうな話」を真に受けることは危険でもあります。とはいっても、企業が「適性検査」という名のもとに心理学・脳科学を活用した「診断」を行って、求職者を選別していることを見てみれば、チラシの裏や飲み会でのちょっとしたバカ話に生物学的根拠?を持ってくることくらいはお目こぼしをもらっていいとも思います。それをもとに「社会的な差別」をするのがダメでも、「個人的な経験則」として心の底でこっそり隠しておくくらいならいいのではないでしょうか。

 話がそれましたが、男性であれ女性であれ「モテたい」という心の叫びがあることは事実でしょう。(相手が同性であれ異性であれ)イケメンや美女に相手にされたい、という思いを抱えている人は多いと思います。私は異性愛者男性ということで、異性愛者男性に向けたアドバイスしかできないのですが、今回はその様な話をしていきたいと思います。

 

10→100よりも、0→10が難しいというのが、男性異性愛

 世の中には100人とは言わないまでも、数十人の女性と一夜を共にした男性というものは意外と多くいます。彼らは呼吸をするように女性を口説き落とし、非モテには想像もつかない放蕩三昧の日常を送っています。一方で、世間には20歳、30歳を超えても経験人数がゼロという、魔法使いやその予備軍が多くいます。この二者の違いはどこにあるのでしょうか。

 それは「最初の一人、そして10人を口説けたのか」という一点に絞られます。まあそれは当たり前の話ではあるのですが、男性にとっての経験人数は「最初の一人がやたらと難しい」という事は確かなようです。逆にそこを突破してしまえば、後は意外と簡単なわけです。むしろ、最初の一人を突破し、そこから10人程度の経験を積んでしまえばもう最強です。女性を口説く際に必要な度胸や自信、「フラれてもかまわねえ」という開き直りも出来てきます。

 

 経験人数の差には、もちろん顔の美醜や身長、社会的地位などの「スペック」の違いがあることは確かでしょう。しかし、スペックが高い男性であっても妙に非モテの悲しみを抱えている人がいることも確かです。おそらくそこにあるのは、「自分は女性に拒絶されるのが怖い」という、オドオドとした自信の無さを女性に見抜かれているのか否か、ということでしょう。

 女性というものは恋愛においてある意味でとても残酷な一面を持っていると私は感じています。それは「男性に自信があるのかどうかを感覚的に見抜く。そして自信のある男性だけを足切り突破選抜者として評価する。その選抜者のなかからより自分にとって好みの男性を選ぶ」というような側面です。つまり、自分に自信がなければその「第一次選抜」すら突破できないわけです。

 自分に自信がない男性というものは、その「第一次選抜」の時点で足切りされてしまうため、その先に行くことすらできません。まれにとんでもないイケメンだったり、たまたまその女性にとってストライクゾーンど真ん中だったりすれば第一次選抜を無試験で合格できるのですが、それは稀な事例です。

 

 つまり、男性が女性を口説く際に基本的に求められるのは「最初の数人を口説くことができたことに支えられている、自分に対する自信。女性に拒絶されてもいいやと思える自信。」なのです。これでは、非モテが女性を口説くことができるわけがありません。一方でモテる男性はその自信を持っているので、次々と女性が課す第一次選抜を突破していくわけです。

 この「自信」は体からにじみ出るものなので、非モテ男性が真似をしようとしてもなかなか難しいものがあります。ちょっとした言動やしぐさから女性はこの自信の有無を見極めます。そしてこの自信は経験人数を重ねれば重ねるほど磨かれていきます。そのため、「モテる男はさらにモテるようになり、モテない男はさらにモテなくなる」というスパイラルが発生してしまうのです。

 このスパイラルをプラスの方向にもっていった男性は強いです。モテがモテを呼ぶというような、最強の状態になっていきます。人気が人気をよぶという状態がありますが、まさにその様な状態です。一方で非モテ男性は非モテ非モテを呼びます。人気がないコンテンツが、人気がないという一点だけで見向きもされなかったりすることと似ています。

 

 つまり、男性にとっては最初の数人の経験が、女性を口説くうえでは何よりも必要になるということです。まるで救いようがない話です。しかし、非モテ男性が逆転?勝利を収めるための禁じ手があります。それは「恋愛工学」です。

 

「恋愛工学」という禁じ手

 恋愛工学というものは恐ろしい理論です。おそらくこれを完璧に習得した男性はセックスに困ることはないでしょう。しかしその一方で、健全な恋愛は難しくなると思いますし、最悪の場合性犯罪者ということで逮捕されてしまうかもしれません。恋愛工学とは、女性を徹底的に「攻略すべき対象」として見ることで、工学的アプローチによって経験人数を稼ぐというような考え方です。その考え方には参考になる部分もありますが、人間としての心を失うかもな、という部分もあります。

 参考になるのは、「女性は確率的に口説くものである。一人の女性に執着するよりは、たくさんの女性を口説け」というものです。非モテは何かあるたびに「この人が運命の女性だ」と錯覚してしまいます。まるで卵から生まれたヒナが動く物体を親と思い込んでしまうように。しかし、恋愛工学ではそれを戒めています。女性を口説き落とせるかどうかは確率の問題である以上、とにかく数を口説いて期待値を高めろ、というわけです。

 実際に、モテる男性はフラれることを恐れずに多くの女性を口説いています。いちいちフラれる事を恐れていては何も始まりません。それに、口説く段階で一人の女性に執着しすぎるのも、相手の女性に「必死過ぎてキモイ」という印象を抱かれることは確かです。20歳前後の女性であれば必死に口説くうちにほだされる場合もあるかもしれませんが、自由恋愛に鍛え抜かれた20歳半ば以降の女性にはなかなか通用しません。映画や漫画のような純粋な恋は、現実ではあまりないからこそ映画や漫画になるのです。

 理想的なフィクションに固執して非モテの悲しみを抱え、怨嗟をため込むよりは、いっそ確率的にアプローチしてしまえというのは、プラグマティックな意味で一つの模範解答だと思います。

 

 一方で、恋愛工学のテクニックの一つに「ディスり」というものがあります。私はこれこそ恋愛工学の要点だと思います。ディスりとは、その名の通り女性を軽くディスることで精神的優位に立つというものです。このテクニックによって「男性(自分)が上、女性(相手)が下」という状況を疑似的に再現することで、女性を口説きやすくなるということです。

 私はこの「ディスり」というテクニックを初めて知ったとき、世の中には恐ろしいことを考えるひともいるものだなと思ったことを覚えています。ディスりによって「精神的優位」を演出し、「自信」を演出することで、女性の「自信がある人を選抜していく」という恋愛スタイルをハックしているのですから。まさに人間に対する工学的アプローチであり、「恋愛工学」という名前は伊達ではないなと思いました。

 しかし、そのようなテクニックは強い副作用も伴うものでしょう。恋愛工学を究めて女性を口説けるようになっても、おそらく心が満たされることはないと思います。本当の自分をさらけ出して、ダメな自分もいい自分も全肯定してもらえるというような「無償の愛」が、遠ざかってしまうからです。

 無償の愛などいいから、俺はとにかく何でもいいから愛が欲しいんだ、というのであれば恋愛工学は有効でしょう。それに、一旦恋愛工学で女性の口説き方を学ぶのもいいと思います。しかしその先には、「無償の愛を手に入れるために、せっかく身に着けた恋愛工学という仮面を脱ぐ」という必要性が出てきます。恋愛工学を実践しているうちは自己開示をすることができません。恋愛工学という仮面を脱ぎ捨て、自己開示ができるようになって、はじめて無償の愛が手に入るのだと思います。

 

 しかしまあ、恋愛工学を実践するか、生まれつきのモテ要素を生かすかしてモテるようになるとどのような状態になるのか、それを知っておくのも悪くはないと思います。それを、私の体験を交えて話したいと思います(なお、この話で私がモテることはありません。あくまで、私が「モテる男」と「それに対してメスの目線を送っていた女性の話」を書いていきます)。

 

「モテる男は、よりモテる。モテない男は、よりモテない」を実感した話

 モテる男はますますモテます。これは真理だと思います。何かの小説に「男の色気は、女を抱く度に磨かれていく」というような一節があったことが記憶に残っていますが、まさにこれは的を得た格言だと思います。私の経験でも、それまで非モテだった男性が女性を知った瞬間に自信を得て、女性から「メスの目」ともいうもので眺められていた場面を見たことがあります。また、どう考えてもヤバいやつなのに、モテるというだけでモテていた男性を見たこともあります。

 私にはある友人がいます。彼は不細工というわけでもないのですが、特段イケメンというわけでもありません。そして長いこと非モテ街道を驀進していました。しかし、彼はある夏にマッチングアプリで三人の女性と関係を持ったそうです。恋愛工学の手法を使ってみたといっていました。それを彼は同級生の男女混合の飲み会で恥ずかしそうに語っていました。

 それだけならまだいいのですが、問題は女性陣の反応です。「えー。やだー」とかいいながら、完全にメスの目になっていたのです。なんとも表現できないのですが、「ここで彼が口説いたら、この女性たちはついていくのかもしれない」という直観のようなものがありました。結局彼はその女性たちを口説くことはなかったのですが、それは友情を優先させただけなのかもしれません。

 

 ほかにも、同じような「メスの目」を感じた出来事があります。バイト先での話です。私のバイト先には、「あいつヤバいクスリやってんじゃね?」という噂がある男性がいました。しかし彼はイケメンで、何人もの女性を泣かせてきたような男でした。

 そんな彼についてバイト仲間の女性と話しているとき、彼女が妙に彼を擁護しているのに気づいたのです。そして酒に酔った彼女は、「ぶっちゃけあの人となら一線超えてもいいかも」という爆弾発言をしました。まさにその時彼女は「メスの目」をしていました。普段の彼女は決して感情的ではなく、論理や道理を優先させる女性でした。しかしそんな彼女でも、「モテる男の色気」にはかなわなかったようです。男性が下半身で動くとはよく言うけれど、女性だって割と下半身で動く時があるんだなと思った事を強く覚えています。このように、人間はなんとも残酷な一面をのぞかせる時があります。

 

 モテる男というものは本当に何もかもをかっさらっていきます。女性との関係だけでなく、就活や仕事の成果など、彼らは「あふれ出る自信」によって、様々な対人関係で成果を出していくのです。こうも残酷な世界を目にしたとき、世の非モテ男性が恋愛工学という禁じ手に走ってしまうのは、仕方のないことかなとも思いました。

 この辺でこの記事は終わりにしたいと思います。ツイッターもやっているので、是非フォローをお願いします。

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