全てフィクションです。

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「ウクライナ情勢の解説」に関するテレ東YouTubeチャンネルがすごいという話

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はじめに

 最近、マスコミやジャーナリズムに対する信頼が揺らいでいます。「マスコミ」と「ゴミ」という言葉をかけ合わせた「マスゴミ」という言葉も広まりつつあります。確かに、最近のジャーナリズムはどうにも「何かおかしい」という印象を受けることがあります。2010年代には安倍政権に対する無理筋な批判を繰り返し、主要顧客である「左派」に対して心地の良いニュースばかりを繰り広げていた印象がありました。政治的立場は様々にあるので、それら「自社の顧客」に対して需要があるニュースを届けることには合理性があります。また、様々な立場からニュースを発信することで多様な視点を持つことも可能になります。

 しかし、あまりにもそれが行き過ぎている、しかも「右派」を顧客にしているマスコミもそれはそれで中立性を欠いていて、何か釈然としないものがあることも事実です。しかし、テレ東が運営しているYouTubeチャンネルの「テレ東ビズ」は、どうもその様な現状のマスコミから一線を画しているという印象を受けます。「どっちもどっち」に陥ることもなく、「特定の立場からの肩入れ」をするのでもなく、「ただ、事実を大衆に分かりやすく説明し、独善的な啓蒙に陥らない真摯な視点」から解説しているのだろうな、という事を感じさせる内容になっています。

 それが顕著に現れたのが2022年2月に発生したウクライナとロシアの騒動でしょう。私は「テレ東ビズ」がウクライナ情勢について「ロシア側の論理(理解はするが共感するとは言っていない)」や、「国際政治や政権内部の事情を分かりやすく解説した、日本国政府の動き」などをコンテンツとして発表していることに、「ジャーナリズムとはこういうものなのか」と衝撃を受けました。今回は、それについて書いていきます。

 

「ロシア側の論理(理解はするが共感はしない)」を解説した38分の動画

 テレ東ビスが提供している動画のなかで、私が最も「すごい」と思ったのは、38分間にわたってアナウンサーが「ウクライナに侵攻する事を根拠づける、ロシア側の論理」を解説している動画です。参考文献を明示するだけでなく、話の構成や中立性、客観性なども担保されていて、「ジャーナリズムかくあるべし」というようなものを感じさせる動画でした。

 


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 内容についてはネタばれ(著作権侵害の可能性もあります)になるのでここでは詳しくは触れませんが、「ロシアの側に立ってみれば、ウクライナに侵攻するのも理解することは理解できる(ただし共感するとは言っていない)」というものでした。ここで重要なのは、「共感はしないが理解はする」という姿勢を打ち出していることでしょう。

 誰かが具体的で意図的な行動に出たとき、それにはその人なりの事情なり論理なりがあります。例えば誰かが刑事事件を起こしたとして、「そんな事をするのは人格が腐っているからだ」と非難することは簡単です。しかし、被告人の生い立ちや思想、環境などを丹念に調べていくと、「共感はできないが、やむにやまれぬ事情があったのかもしれない」という理解が得られることがあります。

 そして、この理解が大切なのだと思います。刑事事件の場合は、被告人の行動原理や動機を解明することで、後々の悲劇的な事件を防ぐことができるかもしれません。また、国家間の対立や企業間の競争であれば、「あの人たちはこういう論理で動いている」ということが理解できれば、対処の方法が出てきます。テレ東がYouTubeで配信している動画はまさに、「ロシア側の内在論理」を解き明かすものです。これを抑えることで、単に「ロシアの首脳は狂人だ」で終わることなく、「ロシアの首脳陣はこういう理屈で動いているんだな(共感するとは言っていない)」という理解を得ることができます。

 

 それは、今後のロシア側の行動を予測する上でも有用な材料になります。また、ロシア側とどのように「落としどころを探るのか」という道しるべになるかもしれません。そして、このような有用性を持つ情報を提供してくれているテレ東は「ただ情報を渡している」だけではありません。「情報をテレ東の内部なりに解釈し、有用性がある形に加工して提供している」という事になります。情報はただ集めるだけでは意味がありません。そこに一貫する論理や編集がなければ、有効性がある情報にはならないのです。また、その加工や編集に用いられる技術力も重要になります。

 例えば、「あるクラスのテストの点数をただ集めただけ」という生データがあるとします。問題はこれをどういう風に加工し活用するのかです。平均点を計算し、「怠けものと勤勉なもの」に分けて、怠けものにとりあえず画一的な補修を受けさせる目的でデータを加工することも考えられます。一方で、個人個人の国語・数学・英語の点数の相関関係、そして各教科の分野ごとの得点率を調べて、「どの科目が得意な人が、どの科目が苦手なのか。そして苦手科目を伸ばすには、各科目のどの分野を改善すればいいのか」を分析する目的でデータを加工することも考えられます。

 「怠けもの」に一律に補修を受けさせるよりも、「苦手科目や苦手分野をあぶり出したうえで、じゃあどういう風に学習方針を立てればいいのか」を考察した方が余程有益です。

 

 ジャーナリズムとテストの点数の分析は異なるかもしれませんが、「情報の加工」という観点からすれば同じものだと言えるでしょう。テレ東のロシア情勢への解説は、「ただ情報を集めただけ、もしくはそれを雑に加工しただけ」ではなく、「情報を丹念に集めたうえで、視聴者に分かりやすく、かつ正確に加工したもの」であるという印象を私は受けました。そのような「情報の加工の精緻さ」とでもいうものを感じた、他の動画についても紹介してみます。

 

「政治のしがらみ」を、「それはそれで大事なものだ」と解説する姿勢

 私がすごいと思ったもう一つの動画に、「侵攻」と「侵略」という言葉の違いについて丁寧に解説した動画があります。

 


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 具体的な内容についてはここでも触れませんが、「政治の世界では、ちょっとした言葉の違いでメッセージの内容が全く変わってしまう」という事を丁寧に解説しています。政治の世界は言葉の世界でもあります。言葉を少し間違えただけで「失言」として大臣を辞職する羽目になったり、国際問題に発展してしまうことがあります。その様な「些細な違いに敏感になる」というのは確かに下らないことかもしれません。しかし、そこにはただ「下らない」と切って捨てるわけにはいかない事情もありますし、この動画ではその「事情」についても丁寧に解説がされています。

 政治には様々な側面があることは確かですが、「利害調整、資源分配、対立の緩和、陣営の結束」といった側面があることは確かです。そしてこれらは高度なコミュニケーションを要求するものでもあります。その「高度なコミュニケーション」の方法を、政治の論理にしたがって解説しているのです。それは半端なコメンテーターが、「政治家は上っ面の言葉にだけこだわって下らない」と吐き捨てるのと比べて頭が何個分も抜けていると言っていいでしょう。

 

 実際に、高度なコミュニケーションが求められる状況では、私たち一般人も「些細な言葉や表情、しぐさ」などに異様なほど神経を使います。ちょっとだけ目を伏せる、表情を曇らせる、言葉を取り違える、こういった些細な違いが、人間関係の致命的な破局をもたらすこともあります。政治という一見「雲の上の世界の話」であっても、人間が動かしている以上は「コミュニケーションに気を配る必要がある」という事を、テレ東の動画は丁寧に解説しているのです。

 

 そして、その様な「しがらみ」にしか見えない、政治家同士の些細な言葉のやり取りに意義を見出し、「その裏には、こういうメッセージがあります」ということを解説しているのです。「政治家は上っ面にばかりこだわる」と言うのではなく、「政治家が言葉に異様に配慮する裏には、こういった事情があるのです」という解説は、まさに「啓蒙」といっていいものだと思います。

 

ジャーナリズムを素直に見直す経験になった

 この記事ではテレ東をべた褒めしましたが、私はジャーナリズムも国際政治も素人です。そのため、本職の専門家からすればテレ東の解説には間違ったところもあるのかもしれません。それに、私のこの記事も必然的におかしなものになっている可能性もあります。

 しかし、私はテレ東の動画をみて、「ジャーナリズムとは、こうも気高いのか」と雷に打たれるような衝撃を受けました。最近はマスゴミという言葉がはやっているように、ジャーナリズムの評価は地に落ちています。実際わたしも、マスコミが言うことをあまり信じられない、という印象を抱くことは少なくありません。それに、本業のメディア事業がズタボロの赤字な癖に、不動産収入などで何とか財務を維持し、「同人誌」と揶揄されるような政治的主張を繰り広げているマスコミも存在します。

 

 正直、私はジャーナリズムをなめていました。それに、最近の若い世代は「マスコミ」「ジャーナリズム」に魅力を感じていないどころか、一種馬鹿にしていることも確かです。コロナ前の学内合同説明会では、新聞社のブースは悲しいほどにがら空きだったそうです。マスコミは、「給料はいいかもしれないけど、就職すべきではない」と思われているのです。繰り返しますが、私もその様な風潮にのって、マスコミやジャーナリズムを馬鹿にしている部分がありました。

 しかし、テレ東の動画をみて、「真摯なジャーナリズムは、かくも気高く、有益なのか」と思いなおすことができました。一般人にはなかなか入手できない情報や、入手できたとしても膨大・煩雑すぎて手に負えない情報を加工し、分かりやすく解説してくれることがこうも有難いことなのかと考え直したのです。

 

 現在、マスコミの評判はけっして良いものではありません。凋落するテレビ、反ワクチンなどの非科学的でヒステリックな煽り、茶番じみた政権批判、どれをとっても「なんじゃこりゃ」というようなメディアがあふれています。しかし一方で、「情報を商売のタネにする」ということの特殊性・有用性は失われていません。一般人がアクセスできない情報、アクセスできても解釈ができない情報を、分かりやすく解説してくれるのがマスコミでもあるのです。

 確かにマスコミにも様々な問題点はあるでしょう。しかし、彼らは「情報のプロ」でもあるのです。商売である以上、大衆迎合的で非科学的な内容をまき散らすこともあるかもしれません。しかし、私たち一般人が「世界について知る」ためには、マスコミを通して情報を得るしかない、という事に改めて気づきました。

 もしかしたら、今の大学生にとって新聞社やテレビ局などのマスコミに就職することは悪くない選択肢なのかもしれません。「マスコミはインターネットに押されている」という事は確かです。しかし、インターネットは所詮素人の烏合の衆という側面もあります。やはり、プロにはかなわない部分があるわけです。マスコミに就職して、「情報のプロ」になることは、フェイクニュースが益々飛び交うであろう今後の社会において、「希少な価値を持つ人材」になることに繋がるのかもしれません。

 

 今回の記事はこの辺で終わりにします。ツイッターもやっているので、出来ればフォローをお願いします。

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